県の離島勢として史上初の 甲子園出場を果たした大島高校。 この春、奄美の球児たちは甲子園に大きな風を吹かせた。 大応援団がアルプススタンドを埋めつくし、 島では2か所でパブリックビューイング。 敗れはしたものの、歴史的瞬間に島全体が大きく沸いた。
部員全員が地元奄美大島の出身で、 幼いころからの顔なじみばかり。 「島から甲子園」を合言葉に戦ってきた。
そして、島民や野球部を支えてきた 人たちにとっても甲子園出場は悲願。 戦後まだアメリカ統治下の時代、道具がない環境の中、 奄美の野球を支えた人々は甲子園は「夢のまた夢」だったという。
それから60年、苦労や努力を重ね、 ようやくたどり着いた甲子園の舞台。 甲子園を待ち望んでいた人々の思いとは。
そして甲子園での戦いを終え、 彼らは次なる戦いへと動き始めていた。 春の王者・龍谷大平安戦から見えてきた、手ごたえと課題。
3月25日、まさに一つになった奄美大島。 奄美の球児たちが起こした奇跡と、 彼らを支えた多くの人々の思いに迫る。