市民の食生活を支える鹿児島市中央卸売市場 開設から90年 昔と今は


鹿児島市天文館の「なや通り」衣料品や雑貨の店が立ち並び多くの人でにぎわいます。

「天文館の一角にあるこちらの石碑には『なやんばあ』と書かれています。実はこれこの場所が鹿児島の食を支える始まりだったことを表す石碑なんです」

市場が開設されたのは400年以上前の藩主・島津家久の時代。
御用魚問屋の市は、最盛期には48軒がひしめき合うように並び、賑わったとか。

大正末期には今の山形屋近くの「広馬場通り」に野菜や果物の卸売市場も開設され、その後、数々の変遷を経て中央卸売市場につながっていったとされています。
最盛期の賑わいを知る人はー

なや通り中原商店 中原時宏社長
「掛け声がきゃっきゃっきゃっきゃっというと聞いてて、それなんねと聞くと来なさい来なさいかと思ったんですよ。そしたら買いなさい、けっけっけっと言ってたというのはよく聞いてて・・」

鹿児島の台所を支えてきた場所にこだわりもあります。

「やっぱり恥ずかしいものは売れない、昔ながらのちゃんとしたものを売らないといけないというのは肝に命じている」

そして今の時代の鹿児島の台所を支える鹿児島市の中央卸売市場は開設から90年を迎えました。

鹿児島市 下鶴市長
「生鮮食料品の配給統制の実施や仲買人制度の一時撤廃などにより、市場機能そのものが危機に瀕した時期もありましたが、戦後経済の発展や人口の増加等により取扱量が増加し」

式典には青果と魚類、双方の関係者らが出席し、運営に功績があった人たちに、表彰状が贈られました。

市場が特に活気のあった50年前、水産物の取扱高はおよそ4万3000トンと去年の2倍以上ありました。

県漁業協同組合連合会 宮内和一郎 代表理事専務
「通路まで並ぶぐらいの(魚の)量がありましたから、捌くのに大変だったですね。当時はやっぱり人も魚も多いし、もうそれだけ量も取れてましたから。本当にこう大衆に回る『大衆魚』っていう形でみんなが魚を食べる時代だったのかなと」

一方の青果物は50年前と比べ着実に増えていますが、姿を消しつつある野菜もあるといいます。

中央卸売市場 青果食品協同組合 北野修 前理事長
「伝統的な昔からの野菜っていうのが段々なくなったり、例えば桜島大根。昔はたくさん生産者もいられましたけど農業が報われる社会になっていってもらえたらなと思っております」

 
「KKBみんながカメラマン」