世界旅行経て定住した熊本への想い

 熊本県在住の河野やすこさん(アカウント名・地球上の緑)がInstagramに投稿した動画「熊本地震、その後」が、50.3万回再生を超える反響を呼んだ。夏休みのタイ旅行から帰国する日、友人からの「大丈夫?」という連絡で、令和8年熊本地震の発生を知った。地震から2週間がたった現在、自宅では屋根や室内の修繕が進み、以前の暮らしを取り戻すための見通しも少しずつ立ち始めている。熊本に定住する前、地球上の緑さんの家族は、2年間かけて世界中を旅していた。「この場所で暮らしを立て直したい」と願う原動力や熊本への想い、旅を経て選んだ現在の暮らしなど、投稿者の河野さんに聞いた。

【写真】旅先で集めた食器がほとんど割れた…震災後の荒れ果てたリビング

◆タイ旅行中に知った震災「熊本に定住する前は、世界中を旅していた」

――Instagramで発信された被災後の状況が大きな反響を呼んでいますが、友人からの連絡でタイ旅行の帰国日に令和8年熊本地震が起こったことを知りました。実際にご自宅の被害を目にされた際の心境や、SNSで発信された想いについて教えてください。

「タイからの帰国日、友人からの連絡で地震を知り、情報を調べるうちに被害の大きさが分かってきました。帰国後に目にした熊本の自宅は屋根瓦が落ち、壁も崩落し、悲しさや恐怖もありましたが、地域住民それぞれが『自分にできること』を持ち寄り、助け合う姿に人間社会の底力を感じました。報道では届きにくい生活者の日常やその後の変化を伝えることが今自分にできる復興への関わり方だと考え、自宅の被害をSNSで発信しました」

――地震を知られたのも旅の最中だったわけですが、熊本で生活する前の2年間、ご家族で世界中を旅していました。もともと医師として多忙な日々を送る中、世界中を旅しようと決断された背景には、どんなきっかけがあったのですか?

「世界を旅することは高校生の頃からの夢でしたが、それを決心したのは大学時代に訪れたインドでの出来事でした。幼い頃から医師免許を取るまで、目標に向かって勉強することを最優先にしてきました。医師になることは大切な夢でしたが、その一方で、『世界を自由気ままに旅したい』というもうひとつの本音も持っていました」

――インドでの体験が、大きな価値観の転換になったのですね。

「大学時代、マザー・テレサの施設でボランティアをするため、初めてインドを訪れた際、道端で牛や犬のそばに座ってじっと長い時間を過ごす人たちを見て、ふと『人生には意味なんてないのかもしれない』と思いました。それまでテストの点数や偏差値、効率よく生きることばかり考えていた私にとって、大きな価値観の転換でした。一度きりの人生、それも決められた意味なんてないのだったら、頭の中でリスクばかり考えず自分がやりたいことに挑戦しようと決めました」

◆2年間の世界旅行の末に辿り着いた“熊本定住"、「日本のごく普通の生活」に惹かれたワケ

――そこから1度目の世界一周ひとり旅へと繋がっていくわけですね。

「医師免許を取得後、研修医として働きながら貯金し、1年間の世界1周ひとり旅に出ました。その旅で、同じく旅人だった現在の夫と出会いました」

――ご家族での2度目の旅には、どのような約束や想いがあったのですか?

「結婚する前、私たちは『7年後にもう一度世界を旅しよう』と約束しました。7年という期間は、私が専門医を取得し、希望する病院で学び、所属する医局でも役割を果たすまでを逆算したものです。同時に、家族で長期の旅をするなら子どもが小学校へ進む前に出発したいと考えていました」

――ご家族全員で旅をつくっていく感覚だったのでしょうか?

「私たちにとって、子どもは同じ船に乗るクルーです。旅先では、それぞれの体調や興味、出会いによって予定を変えながら、家族みんなで旅をつくっていきました。旅は毎日がワンダーの連続です。子どもに何かを与えるためだけではなく、親である私たち自身が目を輝かせ、知らない世界を面白がって生きる。その時間を家族で共有したいという思いが、2度目の旅の根底にありました」

――2年間にわたりご家族で世界を巡る中で、「日本のごく普通の生活」に惹かれた理由やきっかけは何だったのでしょうか?

「旅の間は、常に衣食住のケアが伴います。私たちは観光地よりも、地図やガイドブックに情報がない地域を中心に、手探りで旅をしていたので、食事ができる場所はあるか、なければ宿で自炊できるか。子どもたちを受け入れてくれる宿はあるか。新しい町へ移るたびに探さなければなりません。衣類も全員でバックパック2つに入るだけなので、毎日みんなで服を手洗いし、部屋中にロープを張って乾かしていました」

――手探りの旅を続ける中で、心境の変化があったのですね。

「国や言葉や通貨を越えて点々と拠点を変えていく暮らしを2年間続けていると、定住への憧れが生まれてきます。毎朝同じ場所で目を覚まし、友人と会い、行きつけの店で買い物をし、いつもの職場に通い、自分のベッドで眠る。旅に出る前は意識することのなかったそんな暮らしを、豊かだと思うようになりました」

◆熊本での“ごく普通の生活"で得た楽しさ「旅にはない“ルーティン"が心地よい」

――帰国後の移住先として熊本を選ばれた決め手について教えてください。

「熊本へ移住することは、結婚前から夫と決めていました。夫は結婚当時、薬剤師として働いていましたが、子どもが生まれてからは、主夫として育児と家庭を担ってくれました。その間に私は専門医を取得し、医師として経験を積む。そして、子どもが小学校へ進む前に家族で旅をし、帰国後は熊本へ移って夫が家業の農業を継ぐ。そこまでを、結婚前から2人で話し合っていました」

――ご夫婦で将来のライフプランをしっかり話し合われていたのですね。熊本に定住するようになり、「日本のごく普通の生活」への意識の変化や気がついたことなどはありますか?

「旅をしていた2年間も、その時の私たちにとっては普通の生活だったので、現在の生活は『ひとつの場所に腰を据える暮らし』という感覚に近いです。旅先では環境に自分たちを合わせていましたが、今は暮らしや家を自分たちにフィットする形に育てていくことが楽しいです。生活していると、旅の間にはなかった『繰り返し』や『ルーティン』が生まれ、それを循環させていくことを心地よく感じています」

――旅生活で得た気づきは、現在の熊本での生活にどのように関わっているのでしょうか?

「日本での慣習や常識は、数あるやり方のひとつに過ぎないと思うようになりました。例えば、日本では離乳食はおかゆから進める方法が広く知られていますが、世界には米食文化がない国もあります。それを目の当たりにして、柔軟になったような気がします」

――日常の「不足」や「想定外」に対する捉え方にも変化がありましたか?

「暮らしの中では『ない』を面白がることができるようになりました。必要な道具やほしいものがないときに、それを欠如だと思わず、自分たちで創意工夫を発揮して考えられる余白だと考え楽しんでいます。同様に『正解がない』『予定がない』『前例がない』場面も面白がる。私はそれを、『旅するように暮らす』と呼んでいます」

――地震前、この家を購入した際には、建て替えではなく「耐震補強とお風呂のリフォームのみ」にとどめて暮らす道を選ばれましたが、住まい選びのきっかけは何だったのですか?

「私には好きな間取りや憧れていた生活のイメージがあり、この家も、初めは大幅に改修するつもりでした。ところが、初めて中に入ったときに考えが変わりました。日本の気候や湿度、太陽の動きを考えた光の入り方や風の通り道、細部に宿る美意識、使いやすさと気持ちよさ。広い庭と明るい縁側。現代の住宅のように完成されすぎていないからこそ、暮らす人が手を加え、工夫して遊べる余地もあります」

◆大好きの熊本「町全体に人の暮らしが戻ってほしい」それが、今願っている再建です

――伝統的な建築そのものに魅力を感じられたのですね。

「自分では到底思いつかない住まいの設計に感服し、この家が長い時間をかけて育んできたものを尊重したいと思いました。そもそも私も夫も、誰かの歴史をまとった古いものが大好きです。旅の間も、古着屋や蚤の市を探してよく見に行っていました。だから住まいに関しても、新しくてぴかぴかである必要性を感じていなかったのだと思います」

――ご夫婦の「古いものを愛する価値観」や「お子様の成長を見守る視点」は、どのように反映されているのでしょうか?

「2階の壁には、以前この家で育った子ども(今では私より年上だそうです)が描いたクレヨンの大きな落書きが残っています。その絵を見たとき、『ここは、子どもたちと一緒にのびのび生きていける家だ』と確信しました。少しくらい傷がついても、水をこぼしても、長い縁側を思いきり走っても、壁に絵を描いても、この家ならゆったり受け止めてくれる。そんな包容力を感じました」

――実際に暮らし始めて、お子様たちはどのように過ごされていますか?

「実際、5人の子どもたちは室内と庭の境目もなく走り回り、廃材でタイの屋台を作ったり、雨上がりの水たまりでインドカレー屋さんを開いたり、縁側でアイスランドの車中泊ごっこをしたりしています。世界を旅した記憶が、この家で新しい遊びになって続いていく。その姿を見るたびに、この家を選んでよかったなと思います」

――世界中を旅して気づいた「ひとつの場所に腰を据える暮らしの心地よさ」、その地が熊本でした。令和8年熊本地震を経ても「この場所で暮らしを立て直したい」と思える大きな原動力は何なのでしょうか?

「原動力はとても単純で、私たちがこの家と、この土地での暮らしを大好きだからです。家族の思い出があることはもちろん、前述したように先人の知恵や工夫、美意識の宿ったその建築そのものが好き。それに加え、熊本という地も好きです。地域行事やお祭りなどが残っていること、緑が多く気持ちいいこと。農業が身近にある生活がとても豊かなこと。お互いを気に掛ける近所付き合いのある文化。倒壊せず踏ん張ってくれたこの家を、必要な修復をしながらもう一度暮らせる場所にしたいと思っています」

――震災を経た今、熊本での暮らしに対して願っていることについて教えてください。

「今の私がほしいのは、新しい豪邸やご馳走ではありません。地震の前、当たり前にあった生活に戻りたいです。自宅が直るだけでなく、近所の家や田畑、いつものお店、地域の行事も含めて、町全体に人の暮らしが戻ってほしい。それが、今願っている再建です」

(提供:オリコン) 9月8日 9時10分配信

熊本県在住の河野さんが投稿した自宅の様子(Instagram/@mido_on_the_earthより)

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